■ 3/11~3/17の記録
「東北地方太平洋沖地震」とか「東日本大震災」と呼ばれる災害が最初に発生してから明日で1週間。
なんだかんだでようやく落ち着いて文章を書くことができるようになったので、記録として3/11から本日までのことを書いておきます。
ちなみに今回の地震/震災関連で気になった記事などは
http://www.delicious.com/okz/earthquake
にブックマークしてあります。
3/11(金)
会議中(報道によると14:46)に大きな揺れが発生。立っていられないくらいの揺れが続き、驚いてみんなで会議室の机の下に隠れました。
自分は一番ドアに近い席にいたので、閉じ込められないようにドアを開けて椅子を挟んでおきました。
Yahooの地震情報を確認したところ、東北地方太平洋沖を震源として大規模な地震が発生したことを確認。
その後も余震が続き、ビルが高層の耐震構造のため、地面の揺れがおさまってもしばらく揺れてました。ビルそのものの揺れがおさまりかけたところにまた余震がくるので、40分くらい揺れっぱなしだったと思います。
流石に揺れに酔って気持ち悪くなりました。
その間に会議室の窓(東向き)からは、お台場方面(最初間違ってTwitterなどでは六本木方面と投稿)に黒煙が舞い上がってるのを確認。
この時点ではまだ震度と周りの状況くらいしか情報がない状態。
とっさに妻に電話。息子と妻、そして自宅に滞在してくれている母の無事を確認。
娘の入院している病院には繋がらず。
(このBlogに書くの忘れていましたが、2/27に娘が産まれたのですが、3/2に心臓に雑音があるとのことで急遽他の大きな病院に搬送&転院し、まだ入院中)
同じ会議室いた他の人たちも家族に電話していたけど、回線が混雑しているようで繋がらず。
ウィルコムは問題なく繋がりました。
会議にならないので、会議はキャンセルし、自席に戻る。
オフィスの入っているビルの防災センターから、安全が確認できるまでは外に出ないこと、またビルのエレベータが全て停止している旨の放送がある。
保育園にお子さんを迎えにいかないといけない同僚は、「気合いで帰る」と、44階のオフィスから階段で降り、タクシーをつかまえて帰った模様。
今思えば、このときにタクシーですぐに帰っていればこの日のうちに家に帰れたかもしれない。
地震のことが気になり、TwitterやWebで情報収集しながら仕事、といっても周りを見てもみんな同じような状況で仕事はあまりしていませんでしたが。
鉄道、バスなどの公共交通機関が軒並み運行停止しているという情報が入ってきたので、みんなどうやって帰ろうかと考えていたら、ビルの防災センターから、本日は終日オフィスを開放し、いつもなら20時で停止する空調もずっと提供するとの放送が。
また、エレベーターの本日中の復旧も難しいとの放送も。
Googleマップで徒歩で帰宅した場合の経路と時間を調べたら、3時間半。
革靴で3時間半歩くのはつらいなー、と思って妻に相談すると、無理しないで会社に泊まれば?とのこと。
テレビでは既に徒歩で帰宅をはじめた人たちの様子を報道していたようで、歩道も車道も大渋滞で危ないのでは、とのことだったので、焦らずに会社に泊まることに。
この間も余震が続いてました。
泊まるはいいけど、食べ物と言えば会社から支給されたサバイバルキットの中に入ってる「まずい」と評判の非常食のみ。
まだ店がやっているのならば、ちゃんとしたものが食べたい!と思って覚悟を決めて44階から階段で降り、コンビニへ。コンビニではすでにおにぎりやパンなどは品切れだったので、サラダやカップ麺、カロリーメイトみたいなものやお菓子類を5,000円分くらい購入し、まだ普通に営業しているカフェでお茶を一杯飲んでから階段で44階へ。
これがキツかった!
汗だくになって44階に到着。
一息ついて再びWebで情報収集などしながら、先ほど買ってきたもので夕食。
家が(頑張れば)歩いて帰れる距離にある人たちは、徐々に帰り始めていました。
また、20時くらいにはいくつかバスや鉄道の運行が再開されたとの情報も入り始め、帰る人もちらほら。
そんな中、ようやく娘の入院している病院に電話が繋がり、無事を確認。
一安心しました。
22時過ぎに自分の使っている路線が復旧した、という情報が入ってきましたが、Twitterなどを見ると大混雑&ホームに人があふれて線路に落ちる人が→そしてまた運休、とかなり混乱しているようだったので、やっぱり泊まることに。
しかしさあ眠ろう!と思っても余震が続き、また緊急地震警報が入るたびに館内放送がされるため、何だかんだで殆ど眠れなかったです。